
旅行に行くと、なぜか歩きたくなります。
普段なら電車に乗る距離でも、
「歩いてみようかな」
と思う。
少しくらい遠くても、
知らない道なら歩いてみたくなる。
目的地まで最短で行けばいいはずなのに、
わざわざ一本横の道に入ったり、
少し遠回りしたりする。
普段の生活では、
できるだけ早く着きたいと思っているのに、
知らない街では、
むしろすぐに着いてしまうのがもったいないような気さえします。
どうしてなのでしょうか。
- 普段の街は、もう知りすぎている
- 何でもない道が面白い
- 地図を見ながら歩く楽しさ
- 観光地と観光地の間が面白い
- 旅行先では時間の使い方が少し変わる
- 歩くと、その街の大きさが分かる
- 予定にないものを見つけられる
- 迷うことが怖くなくなった
- 写真を撮りながら歩くと、さらに遅くなる
- 歩いて疲れたことまで覚えている
- 目的がないから歩ける
- 知らない街を、自分の知っている街にしていく
普段の街は、もう知りすぎている
普段歩いている道には、
驚きがあまりありません。
駅までの道。
スーパーまでの道。
会社までの道。
何度も通っているので、
どこに何があるのか、だいたい分かっています。
信号の位置も知っている。
コンビニの場所も知っている。
どの道が近いかも知っている。
だから、
歩くことは移動になります。
目的地へ行くための時間です。
できれば短い方がいい。
信号に引っかからない道を選ぶ。
少しでも近い道を通る。
自然と効率を考えるようになります。
でも、
知らない街では違います。
次の角を曲がった先に何があるのか分からない。
どんな店があるのか分からない。
街の雰囲気も分からない。
一歩進むたびに、
少しずつ情報が増えていきます。
歩くことそのものが、
街を知る時間になります。
何でもない道が面白い
旅行先で記憶に残るのは、
必ずしも有名な観光地だけではありません。
駅からホテルまで歩いた道。
何となく入った商店街。
住宅街の中にあった小さな公園。
地元の人が使っているスーパー。
古い建物。
見慣れない看板。
そういうものが、
意外とあとまで残っています。
おそらく、
それらはその街の日常だからだと思います。
有名な観光地は、
ある程度見るものが決まっています。
ここから写真を撮る。
この建物を見る。
この店に入る。
それも楽しい。
でも、
普通の道には正解がありません。
見るものも決まっていません。
だから、
自分で勝手に面白がることができます。
この家の形は面白いな。
この街は自転車が多いな。
スーパーに見たことのない商品がある。
この道は思ったより静かだ。
そんな小さな発見があります。
地図を見ながら歩く楽しさ
知らない街では、
地図を見る回数が増えます。
「今どこにいるんだろう」
「この道で合っているかな」
と確認する。
スマートフォンの地図があるので、
昔のように完全に迷うことは少なくなりました。
でも、
少しくらいなら迷ってもいいと思います。
目的地へ行く途中で、
「こっちの道の方が面白そうだな」
と思って入ってみる。
地図上では何もなさそうなのに、
実際に歩いてみると店が並んでいる。
逆に、
大きな道だと思って行ってみたら、
思ったより何もない。
地図で分かるのは、
道がどこにつながっているかです。
でも、
その道がどんな道なのかは、
歩いてみないと分かりません。
道幅。
音。
人の多さ。
におい。
建物。
坂道。
空の見え方。
そういうものは、
実際にそこに立って初めて分かります。
観光地と観光地の間が面白い
旅行を計画するとき、
どうしても「点」で考えます。
ここに行く。
次にここへ行く。
その次にここを見る。
地図の上に、
行きたい場所をいくつも置いていきます。
でも、
実際に旅をしてみると、
点と点の間の方が面白いことがあります。
駅から観光地まで。
ホテルからレストランまで。
目的地から次の目的地まで。
本来なら移動時間です。
でも、
歩いていると、
その街の様子が少しずつ変わっていきます。
観光客が多かった場所から、
少しずつ住宅が増えていく。
大きな店が減って、
小さな店が増える。
街の中心から離れると、
急に静かになる。
こういう変化は、
電車に乗ってしまうとなかなか分かりません。
目的地だけを見ていると、
街の一部分しか見ていないのかもしれません。
旅行先では時間の使い方が少し変わる
普段なら、
30分歩くと聞くと少し長く感じます。
電車なら5分なのに、
なぜ歩くのかと思います。
でも、
旅行中だと30分くらい歩いても、
それほど気にならないことがあります。
たぶん、
時間の目的が違うのだと思います。
普段は、
「どこかへ行くために歩く」
旅行先では、
「歩くことも旅の一部」
になります。
30分歩いたから30分失った、
とは思いません。
その30分の間にも、
街を見ています。
知らないものを見ています。
だから、
移動時間という感じが薄くなります。
目的地に着くまでの時間ではなく、
すでに何かをしている時間になる。
旅行先で歩きたくなるのは、
そのためかもしれません。
歩くと、その街の大きさが分かる
地図だけを見ていると、
街の距離感が分からないことがあります。
駅と駅の距離。
川までの距離。
中心街から住宅街まで。
地図ではすぐ近くに見えるのに、
実際に歩いてみると意外と遠い。
逆に、
電車で移動していた場所が、
歩いてみるとすぐだった。
そういうことがあります。
自分の足で移動すると、
街の大きさが身体の感覚として分かります。
「あそこからここまで歩いた」
という経験があると、
頭の中に街の形が少しずつできていきます。
旅行から帰ったあと、
地図を見たときにも、
「この道を歩いたな」
と思い出すことがあります。
ただ場所を知っているだけではなく、
距離まで含めて覚えている。
歩くことで、
街が自分の中に少しだけ入ってくるのかもしれません。
予定にないものを見つけられる
歩いていると、
予定にないものを見つけます。
気になる喫茶店。
小さな本屋。
神社。
パン屋。
公園。
知らないスーパー。
不思議な建物。
予定にはありません。
検索もしていません。
口コミも見ていません。
ただ、
たまたまそこを歩いたから見つけた。
この偶然が、
旅行ではかなり楽しいです。
今は、
何でも事前に調べられます。
おすすめの店。
人気の観光地。
絶対に行くべき場所。
検索すればたくさん出てきます。
便利です。
でも、
全部調べてから行くと、
旅行が答え合わせのようになることがあります。
写真で見た景色を見る。
レビューで読んだ店に入る。
予定していたものを順番に確認する。
それも悪くありません。
でも、
少しくらい知らないまま歩く方が、
旅行らしい気もします。
迷うことが怖くなくなった
知らない街を歩きやすくなったのは、
スマートフォンの影響も大きいと思います。
昔なら、
知らない道に入ると、
本当に迷う可能性がありました。
今は、
迷っても地図を開けばだいたい戻れます。
電車の時間も調べられる。
近くの駅も分かる。
店も探せる。
だから、
少し道を外れることが怖くなくなりました。
これは面白い変化です。
技術によって、
効率よく目的地へ行けるようになった。
でも同時に、
安心して寄り道できるようにもなった。
地図アプリは最短ルートを教えてくれます。
でも、
その最短ルートをあえて外れることもできる。
便利さを、
速く着くためではなく、
安心して迷うために使う。
そういう使い方もあるのだと思います。
写真を撮りながら歩くと、さらに遅くなる
カメラを持っていると、
歩く速度はさらに遅くなります。
気になるものを見つけて止まる。
少し戻る。
反対側に渡る。
写真を撮る。
また歩く。
目的地だけを考えれば、
かなり非効率です。
でも、
写真を撮ろうとすると、
普段なら見逃しているものを見るようになります。
光。
影。
建物の形。
看板。
路地。
道路。
人の流れ。
「写真になるものはないかな」
と思いながら歩くことで、
街を見る時間が長くなります。
写真を撮るために歩いているのか。
歩くために写真を撮っているのか。
だんだん分からなくなることもあります。
でも、
それくらいがちょうどいい気もします。
歩いて疲れたことまで覚えている
たくさん歩くと、
もちろん疲れます。
足が痛くなる。
少し休みたくなる。
予定より時間がかかる。
雨が降ることもあります。
暑いこともあります。
それでも、
あとから振り返ると、
その疲れまで含めて覚えていることがあります。
「あの日は本当に歩いたな」
という記憶です。
電車で簡単に移動した場所より、
苦労して歩いた道の方が覚えている。
これは少し不思議です。
快適だったことだけが、
良い思い出になるわけではないのかもしれません。
遠かった。
暑かった。
迷った。
疲れた。
でも、
だから覚えている。
旅行では、
少しくらい不便な方が、
あとから思い出しやすいことがあります。
目的がないから歩ける
普段の生活では、
歩くときにも目的があります。
駅へ行く。
買い物へ行く。
仕事へ行く。
目的があるから、
できるだけ早く行こうとします。
でも、
旅行では、
必ずしも目的がなくてもいい。
ホテルに戻るだけなのに、
少し回り道する。
夕食まで時間があるから、
その辺を歩く。
朝早く起きたから、
知らない道を歩いてみる。
何かをするためではなく、
ただ歩く。
以前、
「目的がない時間って必要なんじゃないか」
ということを書きました。
知らない街を歩いている時間は、
まさにそれに近いのかもしれません。
何かを達成するためではない。
何かを効率よくこなすためでもない。
ただ、
少し先に何があるのか気になるから歩く。
普段の生活では、
なかなかそういう時間を作れません。
だから旅行先では、
歩きたくなるのかもしれません。
知らない街を、自分の知っている街にしていく
旅行の最初は、
何も分かりません。
駅から出ても、
どちらへ行けばいいのか分からない。
地図を何度も見る。
道を間違える。
店の場所も分からない。
でも、
二日、三日と歩いていると、
少しずつ分かるようになります。
「あの角を曲がればホテルだ」
「あそこにコンビニがある」
「この道を行けば駅に着く」
少しだけ、
自分の街のようになります。
そして、
ちょうど慣れてきた頃に帰ります。
旅行が少し寂しいのは、
このためなのかもしれません。
最初は知らなかった街が、
歩くことで少しずつ知っている場所になった。
でも、
ようやく分かってきたところで離れる。
だから、
また行きたくなる。
知らない街で歩きたくなるのは、
ただ移動したいからではないのだと思います。
知らないものを、
少しずつ知っていくのが楽しい。
地図の上にしかなかった街を、
自分の記憶の中の街に変えていく。
そのために、
歩いているのかもしれません。
電車なら数分で通り過ぎる場所を、
30分かけて歩く。
効率は悪いです。
でも、
旅先では、
その効率の悪さこそが楽しいことがあります。
知らない街では、なぜ歩きたくなるんだろう。
たぶん、
目的地に着くことより、
着くまでに知らないものを見つけることが楽しいから。
そして、
普段は急いで通り過ぎてしまう「途中」を、
ゆっくり楽しむことができるからなのだと思います。